経済学部生の実際

標準的な経済学部生の日記。

 

 

『朽助のいる谷間』井伏鱒二

 

 

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その冒頭

 谷本朽助(本年七十七歳)は実に頑固に私を贔屓している。

 

 朽助というのは、ハワイの出稼ぎから帰ってきて、そのまま「私」を含む三兄弟の養育係に任命された男で、不器用というか生真面目というか、たとえば乳母車を押し引きする際にも幼い「私」と言い合いしてしまうような、風変りな年寄りである。実地で身に着けた英語指導にあっては、袴をまとい、厳粛な教師として振舞った。

 

 「私」は現在、東京で文学青年として、不遇の生活を強いられている。ある日、面識のないタエトという娘から手紙が届いて、「私」の故郷にダムの建設予定が持ち上がっていること、ダムが完成してしまえば、「私」の子守だった朽助の家は水の底にあえなく沈むことになるとの報告を受ける。タエトは朽助の孫娘で、身寄りのない二人は、一緒に暮らしているらしい。

 朽助はこのタエトという孫娘に、「私」は現在弁護士として活躍していると言い聞かせているようだ。タエトからの手紙が、単なる連絡ではなく、相談の体で書かれているのは、そのためである。立ち退き請求に対抗しようとする朽助を、説得してくれという依頼だ。

 しがない文学青年という身分を、「私」は負い目に感じている。のみならず、そんな現状を朽助に告白した場合に、かつて熱心な教育者だった彼が、どれほど悲嘆に沈むかまで想像がつく。

私らはなんぼうにもつらいでがす!

だから今まで「私」は、帰省してもあえて自分の職業についての明言を避けてきたのだが、朽助は我慢ならないらしく、歯科医であるとか、技師であるとか、勝手に推定しては、その度に近所に吹聴してまわった。それがいつの間にか、弁護士ということにまでなっていたらしい。

 帰郷して、物語は進行する。

 

 

さすがに「私」は、朽助の扱いに長けている。対処がいちいち冷静である。

私は朽助と劇的な対面をしたくなかったので、遠くから彼を大きな声で呼んだ。

「朽助!まだ寝てはいないのか?」

一方の朽助は、翌朝、杏(あんず)の木に飛び乗って、折れんばかりの勢いで枝をゆすぶりながら、立ち退きの避けられそうにないこと、ただ今回の件に関して、「私」の流暢に演説する姿だけは是非とも見てみたいことなどを、悔しそうにまくしたてた。

 

 

長年住み慣れた家からの立ち退きは、「私」が帰省した時点で、既に確定事項になっている。作中では、建設推進派の冷酷な態度なども描かれず、むしろ朽助のために、番人の役職と、過不足ない新居も用意されているという。ただ、長年住み慣れた家からの立ち退きを余儀なくされたこの老人の、拗ねた子供のような態度が面白い。朽助がいらぬ騒ぎを起こさないよう、「私」は、彼が農作業に出掛けたときを除いて、始終相手をしてやっている。

 

タエトはといえば、そんな二人をよそに、黙々と農作業をこなしている。ハワイ育ち、アメリカ人とのハーフであるが、喋る日本語は完全で、毎晩十字架に祈りをささげること以外、異文化を感じさせる描写はない。朽助と「私」の奇妙な言葉の掛け合いもどこ吹く風で、つましく牛の世話や縄ないに励む姿がよく描かれる。

 

ところが、タエトの使い古した作業着から白い肌がチラチラ除くのを、「私」は観察せざるを得ない。なぜなら、想像力豊かな文学青年であるから。

タエトが「私」を意識しているかどうか、それはわからない。

 

風呂上がりに、毛虫が桜木におびただしく乗っかっているのを、二人で感動のなか見つめていると、朽助がやってきて、ここの毛虫は(近日中にダムに沈むので)残らず死滅すると「嘲笑」するシーンは、無感動な老人のもつ、容赦ない冷酷さが閃いた、作中白眉のシーンである。朽助をさんざん拗ねた子供のように、ギリギリ読み手に愛されるように描いておきながら、途端に突き放す構成たるや、憎らしい。

「私」はタエトに接触する。色々あって、二人の呼吸が合わさり、その可憐な掌をつまむ次第に至った。

「、、、、」

そのまま何秒か無言の時間があって後、朽助が突然ふすまを開けて登場する。朽助は見たものにびっくりして、家を飛び出してしまった。

翌日、帰宅した朽助の前で、「私」は誤解を解くために芝居をうつ。もう一度タエトの手を借りて、手相がどうのと、呟いてみせる。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

ついに旧宅が、自然もろとも水に沈む。

 

 

 

おしまい

 

『朽ち助のいる谷間』1929年発表(井伏31歳) 42ページ(新潮文庫)

   

下線部は抜粋箇所